先日、エジプトで某国外交官が貴重な化石を破壊した、というニュースがあった。場所は世界遺産にもなっているワディ・アル-ヒタンWadi Al-Hitan。バシロサウルス・イシスBasilosaurus isisやドルドン・アトロクスDorudon atroxといった後期始新世の基幹的クジラ類の化石で有名な産地だ。
AFPによると、金曜日に2台の四輪駆動車が管理人の制止を振り切って保護区に乱入、化石を破壊したという。車のナンバーは「ヨーロッパ某国」外交官のものであった。損害は1000万USドルを超えるという。
この話が本当であれば、貴重な世界遺産が破壊された大事件であり、学術的価値の高い化石が損傷されたことは非常に悲しむべきことだ。破壊活動をした「ヨーロッパ某国」の外交官には怒りを禁じえない。
しかしこの話、どうも胡散臭い。このニュースはフランスAFPのスクープであり、問題の配信記事は「匿名情報源」がAFP記者に語った話、という体裁になっている。記者は破壊された現場を取材してるわけではないらしく、現場の写真も一枚もない。
貴重な化石がらみの話となると、すぐに思い起こされるのは化石の密売の可能性だ。本当は「何者か」によって化石が持ち去られた事件であって、それが化石破壊という話になってるのではないか。ほとぼりが冷めた頃に化石市場にエジプト産クジラ化石が何食わぬ顔で出てくるんじゃないか、と思った人は私だけではないだろう。
ところが、話はもっと複雑なようだ。この記事が配信された翌日、アメリカAPがより詳しい記事を発信した。それによると、エジプト当局はベルギーの外交官たちが化石を損傷したとして非難した。外交官の乗る二台の全地形走行車が警告サインを無視してワディ・アル-ヒタンの保護区に侵入、クジラ化石の上を走って損傷させたのだという。
ベルギー側は、7月の事件当時に外交官ナンバーの全地形走行車が現場にいたことは認めたが、道から外れて走ったことはなくいかなる化石も損傷してないと主張している。エジプト当局は7月中旬にベルギー当局に書簡を送り、8月上旬にベルギー側は自分たちの主張をしたためた書簡を送り返した。
エジプト検察局は損害を32万5000ドルと見積もり、ベルギーに補償するよう要求している。ベルギー側は書簡のやり取り以降沈黙していたエジプト当局がなぜ今になって騒ぎ立て始めたのか分からない、としている。
以上がAPが配信した記事のあらすじであるが、AFPの記事といくつかの点で異なっている。まず化石破壊事件が起きた日時が、AFPは先週金曜日、APは7月中だとしている。また、損害額も1000万ドルと32万5000ドルで大きく異なる。そもそもお金で世界遺産の価値をはじき出すことに疑問が生じるのだが(AFP記事が真っ先に損害額の話を出したところも化石密売のにおいを強くしていた)。
こうなると話は報道機関同士の速報性と信頼性をかけた競争になってくる。APの記事は「エジプト・ベルギー両当局は事件は7月に起こったと言った」と、わざわざAFPの話との食い違いを強調している。見たところ「匿名情報源」のAFP記事より、AP記事のほうが話が具体的で信頼がおけそうである。
それを受けてか、AFPはこの事件について続報を発信した。こんどはAFPもエジプトのベルギー大使館を取材しており、「匿名情報源はつい先週に…(中略)…損傷を引き起こしたと言っていたが、ベルギー大使館は代わりに事件は7月に起こったと言った」と、食い違いを認めている。
これらの記事を見ると、ベルギー大使館の車(あるいは別の車?)がクジラ化石の上を走って損傷させたのは本当らしい。しかし、外交官がすすんで世界遺産の破壊を楽しむとも考えにくく、エジプト側の主張する高額の損害というのは割り引いて見る必要があろう。
世界遺産は全人類の財産であり、その価値はプライスレスである。特に歴史的・学術的価値は一度失われては取り戻すのが難しい。このような化石破壊事件が二度と起こらないことを祈りつつ、今回の事件の現場が世界遺産でなかったらニュースにもならなかっただろうな、と思うのであった。

